東京オリンピックで日本ボクシング界史上初の金メダルを獲得し、三迫ジムからプロ転向。東洋バンタム級チャンピオンに輝いた、ワン・ツー・スポーツクラブ 会長・桜井孝雄氏が、10日ご逝去された。享年70歳。謹んでご冥福をお祈りいたします。
桜井孝雄選手。
「まさか自分の誕生日に…。今でも世界戦は勝っていたと思っている」
1968年、ファイティング原田(笹崎)選手に勝ち、世界バンタム級王者となっていたライオネル・ローズ(豪)への挑戦は、第2ランドにダウンを奪った桜井選手が有利で後半戦へ。そして、勝利を確信した挑戦者陣営は逃げ切りを図った。
オフィシャルは日本陣営の3人。
ダウンの5-3はとてつもなく重い時代である。
しかし判定は、スコアは、主審ポップ72-71、副審遠山72-70、副審羽後72-72の2-0でローズ。
「桜井が負けたんじゃない。俺が負けたんだ」
三迫会長の言葉が、この試合の全てを物語る。
スタイリッシュなサウスポー・スタイルだった先輩桜井選手の練習を見て、輪島功一選手は『カエル跳び』を思いつき、王者カルメロ・ボッシ(伊)への挑戦試合でそれを披露。ボッシをかく乱し、見事に世界王座を獲得。
後輩の勝利を桜井氏は、「よくやってくれた!」と祝福した。
プロ戦績30勝(4KO)2敗。
偉大なファイターでした。
合掌。
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