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村田英次郎、関光徳 記憶に残る悲運のファイター

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WBA、WBC共に世界バンタム級1位にランクされた男、村田英次郎(金子)選手。1980年6月、金子繁治会長が村田選手の世界初挑戦のために用意した会場、日本武道館でのWBC王者ルペ・ピントール(メキシコ)への挑戦は引き分け。



”KOキング”カルロス・サラテ(メキシコ)から王座を奪ったピントールは、ウィルフレッド・ゴメス(プエルトリコ)のSバンタム級王座に挑戦し、王座を剥奪されるまで8度の王座防衛に成功。

村田選手と引き分けた後の3度目の防衛戦では、挑戦者ジョニー・オーエン(英)をその強打で死に至らしめるなど、V8のうち5度はKO防衛という実力者でした。

A、C共に世界1位となった村田選手は、81年4月、WBA世界同級王者ジェフ・チャンドラー(米)への挑戦チャンスを掴む。

今でも記憶に残る第1ラウンドの右ストレート。王者はかろうじてダウンをこらえた。



世界挑戦2戦連続引き分けという記録を残し村田選手はリングを去る。

今の時代と何かにつけて比較される度に聞かれるのが、「村田さんがかわいそうだよ・・・」という、オールドファンの嘆き。

古き良き時代のボクシングを愛したボクシングファンの嘆きは、永遠に語り継がれることではないかと思います。そんな時代が好きでした。

「世界中どこのリングでも売れる好ファイター」と米リング誌から高い評価を受けた日本人ボクサーは、元東洋フェザー級級王座12度防衛の記録を持つ 関 光徳(新和)選手。

30勝(24KO)1反則負けという”メキシコの英雄”ビセンテ・サルディバルとの戦いは、今でも伝説となっている。





ダウン応酬の好ファイト。メキシコのファンは関選手を大いに称え、再戦を強く要求した。

この試合を見て、ボクシングにドップリつかってしまった人もかなり多いと聞きます。

かつて、具志堅用高(協栄)選手の指名挑戦者として2度来日したリゴベルト・マルカノ(ベネズエラ)は、サルディバルvs関戦を報じる新聞記事の切抜きを大事に持って来日。

世界チャンピオンに届かなかった日本人ボクサーの頑張りに心を動かされ、「自分もそうありたい」と心に誓いトレーニングに励んで来たのである。



2度目の具志堅選手へのチャレンジでのマルカノのファイトも凄かった。

感動は忘れるものではない。

「胸を打つファイト!」

これがボクシングですねェ!。(^-^)/

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