「わしの大学の先輩じゃけん、田川さんと話してもらっていいかのゥ」
過日、協栄ジムOBの大先輩山村氏からお電話を頂いた。私は、ただただ恐縮するばかりである。
「スタンレーさんが来た時に、一度、会ってるとは言うちょったがのゥ」
今年5月19日、ボクシングの日に開催された『スタンレー伊藤さんに感謝する会』で、イトウ先生が来日された際に、ご挨拶はさせていただいていた。
「わざわざジムまで来ていただいて申し訳ありません」
出版社の帰り道だという田川氏。
「今度、スタンレー・イトウさんのことを書くので、色々と話を聞かせてもらおうと思って。他にも、書いてることがあるんですけど、出版社がボクシングを書いてくれっていうこともあって・・・」
アイク田川氏は、明治の政商松尾儀助の曾孫として生まれ、幼少期より欧米文化に親しみ、1965年初渡米。日本、フランス、アメリカの大企業の要職を経て、現在は執筆活動に専心されている。
「これ読んでみてください」と、一冊の著書を手渡された。
『ボクサーたちの鎮魂歌 玄海男と関光徳と… アイク田川』
戦前、アメリカでリングに上がり、人気を博し、「ジェントルマン・ゲン」と呼ばれた玄海男選手。昭和のヒーローとして1960年代のボクシングブームを牽引した実力者、関光徳選手の二人の素顔と生き様に迫るノンフィクション。
”拳聖”ピストン堀口選手を、米国仕込みのテクニックで破った玄選手。その後の生き方も破天荒そのもの。これには、驚くやらビックリするやらだが、田川氏は鎌倉にあった玄氏のジムに通いながら、長い時を一緒に過ごすが、ある日、ジムは突然なくなった。
その後、故・丸屋群造氏に、「アイツは人がいいから、お前と絶対合うからさ」と元東洋フェザー級王者の関氏が会長を務めるセキジムを紹介され、再びボクシングの日々が始まる。そして、”人間” 関 光徳に魅かれていく。
1980年の協会新役員。金平協会長(中央)。 関 事務局長(左)。右は原田広報部長。
協栄ジム・金平正紀先代会長は何かにつけて「関さん、関さん」で、「本当に、関さんのこと大事にしてたなァ」と大竹マネジャーから常々聞かされている。
「ボクシングで稼いだ金はボクシングで使う」
往年のスター選手関氏と、チャンピオン作りの名人金平氏に共通する言葉を発見した。
古きよき昭和の時代、光り輝いたチャンピオンに捧げる。
皆様、ぜひご一読ください。
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