協栄OB会には、関係者の参加も多く、さながら、ボクシングOB会という趣になる。下の3人も協栄ジム以外の元王者たち。しかし、協栄関係”飲み会”の常連でもあります。すぐに名前が出て来るオールドファンの方々もいらっしゃるのでは。
左からビッグ山龍(野口)氏、成田城健(ヨネクラ)氏、シャイアン山本(国際)氏。いずれも元日本ライト級チャンピオンの肩書きを持ち、青森県出身という共通事項を持つ。
一番の古株は、「僕は48歳で、・・・」と話を始める山龍氏(山龍ボクシングジム 会長)。成田氏のお話から、地元では相当に名の通ったヤンチャぶりであったことがよくわかりました。(;^_^A
現役時代の出世試合は、1975年3月の門田新一(三迫)選手との10回戦。アントニオ・セルバンテス(コロンビア)への世界王座挑戦に敗れたばかりの門田選手との試合は、倒し倒されのまさに死闘。最終ラウンド、キャンバスへ沈んだ山龍選手であったが、負けて大いに男を上げた。
「僕なんか、まだ15戦目ですよ。門田さんは45戦でしょう。キャリアが全然違うんだから。手数は多いし、ボディは効いちゃうし」f^_^;
「でも会長、あれ死んだふりだったんですか?」(^-^)/
ボディが効いて、まさに沈みそうなところから、いきなり強打を振り回し逆襲に転ずる山龍選手。
「門田さんが倒れた時、もう立ってくれるなって思ったんだけどねェ」('-^*)/
山龍会長、話したら止まらない。(;^_^A
昔話に盛り上がっている最中。「あれ、嶋田じゃないの」(山龍氏)。という訳で、一番若い元日本ライト級王者嶋田雄大(ヨネクラ)氏が呼ばれた。
成田、シャイアン連合から追求質問される嶋田氏。(^O^)/
嶋田氏。山龍氏とは、その昔、とあるボクシングジムで遭遇したことがあったというが、なにやら誤解がある模様。
ご説明タイム。('-^*)/
誤解は解決。晴れて記念撮影の4人。
元世界王者上原康恒氏は、CDも出しているプロ歌手でもある。
この日も歌ってくれました。
シャイアン会長、緊張してます。(^o^;)
アッ、シャイアン会長もCD出してました。(;^_^A
「飲んだらアレだよ!」
延々と続く2次会を抜け出し、シャイアン会長ご用達の”吉野家”へ。
「牛丼は絶対これだべさ。だけど。大嶋と畑山は、”すき家”って言うんだよなァ」(`×´)
「そんなことないよな!」(`ε´)
またまた元気が出てきたシャイアン会長でありました。
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