「西城さんのカッコよさに憧れたのはもちろんだけど、ファイトマネーも魅力だったよね」('-^*)/
昭和43年(1968年)9月ロサンゼルスのリングで、世界フェザー級王座を獲得した西城正三(協栄)選手は、”シンデレラボーイ”として一世を風靡。全くの無名選手から、僅か9ヶ月で世界の頂点を極めた王者は、読売巨人軍のスーパースター、長嶋茂雄、王貞治らの年俸を上回る稼ぎを得た。
71年ラストファイトとなったアントニオ・ゴメス(ベネズエラ)戦のファイトマネーは10万ドル(3600万円)。
「やっぱり西城さんは凄いよな!」
「今でもスポンサーになって応援するっていう人いるんだからねェ」
西城選手から王座を奪い取ったアントニオ・ゴメス(ベネズエラ)。
時の大統領はゴメスが帰国する前に、ゴメスの住む家の前の道路を舗装させることを命じている。この当時、ベネズエラでは世界チャンピオンになると途方もない一時金が支払われたものである。
昭和45年(1970年)12月、メキシコでビセンテ・サルディバル(メキシコ)からWBC世界フェザー級王座を奪い帰国した柴田国明(ヨネクラ)選手は、帰国するとすぐに総理官邸に招かれ、佐藤栄作総理と握手。
柴田選手は、日本王者と世界王者の違いを大きく痛感させられた。
「西城さんなんか、総理大臣に呼ばれてて、”やっぱりや~めた”とか言っちゃって 、やめちゃうんだもん。あせっちゃうよ」(^_^;)
西城先輩らしいというか、ありえる話です。(;^_^A
昭和54年(1979年)1月7日。リゴベルト・マルカーノ(ベネズエラ)を破り、WBA世界Lフライ級王座7度目の防衛に成功したチャンピオン具志堅用高(協栄)選手は、V7達成翌日、早速首相官邸に招かれ大平正芳総理大臣に、黄金の拳を披露している。
世界チャンピオンの地位は重かった。
しかし最近、ここに記すことは出来ないが、ボクシング界との訣別を決めていく先輩方のお話を耳にすることが、よくあります。
「何とかしないとボクシングは古典芸能になってしまう」
昭和27年(1952年)、世界フライ級王者ダド・マリノ、サム・イチノセプロモーター、スタンレー・イトウトレーナーのパレード。
このパレードから60年目の今年、大橋秀行日本プロボクシング協会会長は、尊敬と感謝の念を持ち、イトウ先生に記念品を手渡した。
「ボクシングを古典芸能にしてはいけない!」
大橋会長の姿勢からは、その強い思いが伝わって来ます。
「昔はよかった」で終わらせたくないですね。
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