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アリvsフレージャー 250万ドル

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1967年6月、兵役拒否により懲役5年、罰金1万ドルの有罪判決を受けたモハマッド・アリ(米)は、「非国民」、「反逆者」とののしられながらも、米政府相手に戦いを開始した。WBAはアリの王座を取り上げ、新たな王者を選び出すトーナメント戦を開催。


前記事→アリvsダンディvsエリス WBA世界ヘビー級王座


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エリスvsクォーリー。


1968年4月27日、ジェリー・クォーリー(米)に勝ち新王者に輝いたのはアンジェロ・ダンディにマネージメントされる元ミドル級ボクサー、ジミーエリス(米)。アリより2歳年長のスパーリング・パートナーは、ダンディの言を取り入れ増量してから11連勝。アリばりのアウト・ボクシングが自慢だった。


WBAの王座決定トーナメント戦に出場しなかったジョー・フレージャー(米)は、2位から8位へランキング降格という報復処分を受けた。そしてフレージャーが選んだタイトルは、ニューヨーク州が公認する世界ヘビー級王座。


当時、ニューヨーク州、カリフォルニア州、EBU(欧州ボクシング連合)などはWBAに加盟せず、独自に世界王者を認定していた。


1965年。初防衛戦を前王者ソニー・リストン(米)とのダイレクト・リマッチとするアリ側の発表を受け、WBAは「ルールに違反する」として世界ヘビー級王座を取り上げた。しかしアリは、ニューヨーク州他が公認するヘビー級王者として防衛戦を継続。


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「ニセモノ」とテレルを挑発するアリ。


WBAは王座決定戦でエディ・メッチェン(米)に勝ったアーニー・テレル(米)を王座として認定。「ニセモノ王者」と陰口をたたかれながらも2度の防衛を果たしたテレルは、67年2月アリとの王座統一戦に挑み15回判定負け。ようやくひとつになった世界ヘビー級王座だったが、アリの兵役拒否により再び王座分裂の時代を迎えた。


フレージャーがニューヨーク州公認王座を賭けて戦ったのは、アマ時代に敗れている巨漢バスター・マシス(米)。1964年の東京オリンピック米国代表はマシスだった。しかし、直前の急病で急遽補欠のフレージャーに出番が訪れ、金メダルを獲得していたという因縁がある。


1968年3月4日、ボクシングの殿堂ニューヨーク・マジソン・スクエア・ガーデン。マシスは23戦全勝(18KO)で10連続KO中、一方のフレージャーは19戦全勝(17KO)。110.4キロのマシスを相手に、92.8キロのフレージャーは得意のノンストップ戦法で11回TKO勝ち。アマ時代の借りを返すと共に、世界王者の栄冠を勝ち取った。


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フレージャーvsマシス。


その後4度の防衛を果たしたフレージャーと、元王者フロイド・パターソン(米)を破って初防衛に成功したものの、1969年は一度もリングに上がらなかったWBA王者エリスの王座統一戦が、1970年2月16日M・S・Gでセットされる。


しかし、アリの盟友はフレージャーの前に5回TKO負けの完敗。ようやく、世界ヘビー級王者の称号はフレージャーただ一人のものとなった。だが、この年9月ニューヨーク連邦裁は、アリから訴えが出されていた「ボクサーライセンス剥奪の無効」を認める判決を出す。


そして10月、3年7ヶ月のブランクを経てアリがリングに帰ってきた。ジェリー・クォーリー(米)との再起戦は、鋭いパンチでアイリッシュのマユを切り裂いたアリが3回TKO勝ち。


「俺はまだ二十八。ピークまでまだ間がある。このまま節制を続ければ、あと10年は世界チャンピオンとしてやっていけるだろう」


世界ヘビー級王座を取り上げられた時、「誰かが私を倒すまでは、私がチャンピオンなのだ」と公言してはばからなかったアリは、王座奪還宣言。わずか一月半のインターバルで、M・S・Gのリングに登場した元王者は、敗れたとはいえフレージャーから二度のダウンを奪い、これまで一度もKO負けがない、南米の猛牛オスカー・リンゴ・ボナベナ(亜)と対戦。


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この試合、動きに精彩を欠いたアリは大苦戦。「このままでは負ける!」。誰もがそう感じて迎えた最終15ラウンド。底力を見せたアリは3度のダウンを奪い逆転KO勝ち。観衆を興奮の渦に巻き込んだ。残るはフレージャーしかいない。


「あの男は俺のタイトルを持っていっても金儲けは全然ダメだった。タイトルはヤツにとって豚に真珠さ」


フレージャーがこれまで手にした最高のファイトマネーは、エリス戦での15万ドル(5400万円=@360円)。この時代日本では、1971年フェザー級王者西城正三(協栄)選手のⅤ6戦ファイトマネーが10万ドル(3600万)と推定されている。


1対1で争うスポーツでこれほど騒がれたことはない。オリンピックで金メダルを獲得した無敗同士の対戦。真の王者を決めるフレージャーvsアリ戦は、それぞれ250万ドル(9億円)という途方もないファイトマネーが保証された。 →モハメッド・アリが開いた”ビッグ・マッチ”の扉


1971年3月8日、世紀の一戦は世界中の3億人のファンが見入る中M・S・Gで開催された。しかし、ひたすら前進する”スモーキン・ジョー”のノンストップ・スタイルの前に、大衆のチャンピオンアリは大苦戦。最終ラウンドには左フックで痛烈なダウンを奪われ判定負け。


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リングサイドの驚きようも凄いが、TVの前でこのシーンを見ていた何人かが心臓発作を起こし死亡たという。


初めての敗北。しかし、アリは饒舌だった。


「負けることも作戦のうちだよ。これでフレージャーはワナにかかったんだ。今度やる時は、きっと俺が勝つ」


まさに歴史はその通りになるのだが、その第一歩が親友エリスとの戦いになろうとは、アリでさえ夢にも思わなかったろう。   = 続 く =


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