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7年161億・田中vs日本の世界王者

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大リーグ移籍を目指していた楽天・田中将大投手(25)がヤンキースと合意。米メディアは7年契約で、総額1億5500万ドル(約161億2000万円)と報道。ヤ軍は、楽天に支払う譲渡金の2000万ドル(約20億8000万円)と合わせて約182億円を投資。

「ヒェ~、マー君凄いねェ~ノ゚ο゚)ノ

愚妻が思わずため息。プロ野球選手の年俸は、年々大幅アップ。ホントに凄いですね。我が家も3人の野球少年に期待・・・、いや、そんなに甘くないですね。(;^_^A

プロボクサーが華やかだった時代。1935年(昭和10年)、かの”拳聖”ピストン堀口(不二)選手のファイトマネーは、1試合約3,000円とある。時の内閣総理大臣の月給は600円という時代。堀口選手はこの年、8試合を消化した。

ちなみに2013年、安部首相の月給は月額205万円。賞与や手当などを含めて年収は約5000万円。

日本人初の世界王者となった白井義男(カーン)選手は、王座挑戦時で50万円(1952年)。4度の防衛に成功したファイトマネーの最高は720万円。大学出の初任給が8、9千円。白井選手が手に入れた原宿の土地は、一坪3万円。リングサイド席3千5百円、大衆席3百円程度だった。



アメリカン・ドリームを実現させ、”シンデレラボーイ”の異名で一世を風靡した、元世界フェザー級王者西城正三(協栄)選手は、71年ラストファイトのアントニオ・ゴメス(ベネズエラ)戦で10万ドル(3600万円)のファイトマネーを得た。

1968年、米国行きの飛行機代は前借でロサンゼルスへ出発した西城選手は、無名から僅か9ヶ月で世界獲得。その後の14試合で総額約3億円を稼いだという。プロ野球、王、長嶋選手の年俸が5千万円に満たないという時代でした。

1976年5月。WBCの世界戦で初めて入札に持ち込まれたライト級戦は、王者ガッツ石松(ヨネクラ)選手が、挑戦者エスデバン・バン・へススの地元プエルトリコへ出かけて防衛戦を行なった。この時の石松選手のファイトマネーは無税の20万万ドル(6千万円)。

”ロッキード事件”で田中角栄前首相が逮捕された76年、ホームラン49本を打った王選手の年俸は5,260万円。大卒初任給は94,300円。

この年10月、プロ9戦目で世界王座を獲得。13度の防衛に成功する名王者となるのが具志堅用高(協栄)選手。



年間4度の防衛に成功した1979年の具志堅選手は、1月R・マルカノ4000万円(1ドル=239円)、4月A・ロペス4600万円、7月 R・ペドロサ5000万円、10月 T・アベラ5300万円で、ファイトマネーの合計が1億8千9百万円。

他の副収入を合わせて、「具志堅は去年1年の税金を、8千数百万円払っているんですからね。それもある程度の経費を認めてもらって」(金平正紀会長)というほど稼いだ。プロ野球最高は王選手の8,160万円。



1994年12月に行なわれた、WBC世界バンタム級王座統一戦。薬師寺保栄(松田)vs辰吉丈一郎(大阪帝拳)戦は入札となり、3億4200万円で薬師寺選手側が興行権を落札。辰吉選手には規定の1億7100万円が支払われた。

この年、プロ野球最高年俸は落合博満選手の3億8千万円。

昨年は国内でプレーするプロ野球選手の最高が、巨人阿部選手の6億円でした。

現代のアメリカンドリームを実現させる世界チャンピオンが誕生した時、プロボクシング界も新しい時代を迎えることになるでしょう。果たしてそれは誰が・・・・!。

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