元WBA世界Sライト級王者アントニオ・セルバンテス(コロンビア)。世界王座防衛は通算16度。1972年10月、初の王座に就いたセルバンテスは、翌73年は1年間に5度の王座防衛に成功。一時はパウンドフォー・パウンドのナンバーワンといわれるほどの実力者だった。
73年2月、サンファンに飛んだセルバンテスは、地元期待のホセ・マルケス(プエルトリコ)の挑戦を受けた。初回からテクニックの違いを見せ付けた王者は、最終回にダウンを与えるなど挑戦者を圧倒。
しかし、「地元判定」がまだ露骨にはびこる時代。王者は2-1のスプリット・デシジョンで勝利。敗者にはリングサイドで応援していた父ファン・マルケス氏が、試合直後心臓発作で倒れ病院に担ぎ込まれ、翌日亡くなるという不幸が追い討ちをかけている。
セルバンテスの防衛ロードは5万ドルのファイトマネーから始まった。
世界初挑戦で敗れていたニコリノ・ローチェ(亜)に借りを返し、前王者アルフォンソ・フレイザー(パナマ)を返り討ち。73年12月、パナマでライオン古山(笹崎)選手を降した王者は年間5度の防衛に成功。WBAは年間最優秀選手に選出し、「戦うチャンピオン」の称号を受けた。
74年も快調に試合をこなすセルバンテス。7月までに7度の防衛に成功し、そのうち5度はKO。ランキング10位以内には挑戦者がいなくなってきた。そこに目を付け、セルバンテスの王座挑戦を実現させたのが門田新一(三迫・泰明)選手。
ロベルト・デュラン(パナマ)と戦う前のケン・ブキャナン(英)が持つWBA世界ライト級王座挑戦が内定する所まで行きながら、東洋ライト級王座防衛戦で、代打挑戦者のガッツ石松(ヨネクラ)選手にまさかの判定負け。
失意の門田選手は後の世界ライト級2位ルディ・バロ(比)を7回TKOに降し再起に成功すると、世界ランク入りを求めて海外修行に旅立つ。日本を離れて1年。ロサンゼルスからハワイへ主戦場を移した門田選手は、前WBCライト級王者チャンゴ・カルモナ(メキシコ)との対戦チャンスを掴む。
そして見事にカルモナを7回でKO。自らの拳で世界入りを決めた門田選手は日本へ凱旋。帰国第1戦は、フジTVがゴールデンタイムで放映したほどの期待度大の世界チャレンジャーだった。
そして、カルモナから王座を奪っていたWBC世界ライト級王者ロドルフォ・ゴンサレズ(メキシコ)への挑戦が決まる。しかし土壇場になりゴンサレスへの挑戦権は、デュランの王座に挑戦し「予定通り」のKO負けを喫したばかりの石松選手にさらわれる。
9月、デュランにKO負けした石松選手は、1月の再起戦が即世界挑戦というスケジュールだったが、試合はゴンサレスが毒蜘蛛に刺されたということで4月に延期。これは実は「ゴンサレス、ウェイト落ちなかったノネ」(スタンレー・イトウ先生)。
「悔いなき善戦を望む」と予想された石松選手は、3度目の正直、日本開催に男気で応え、ゴンサレスをものの見事にKO。世界王座を強奪してしまった。
石松選手の後にゴンサレスへの挑戦が決まっていた門田選手は、「ファイトマネー12万5千ドルを降らなければ、いつどこででも防衛戦をやる」というセルバンテスにターゲットを変更せざるを得なかった。
過去1勝1敗のライバル石松VS門田第3戦はファンの間から大いに期待されたが、石松選手陣営は二つのオプションを押さえられており、WBA王者デュランの来日は難しく、1階級上げてのセルバンテス挑戦が選択された。
10月26日。東京・日大講堂。「デビューから8年。夢にまで見た世界タイトルへの道が、今、ここに実現したのです!」のナレーションに送られリングに登場した門田選手。「戦うチャンピオン」が強いのはわかっていたが、挑戦者への期待も大きかった。
だが試合は、「1階級違うとこんなに違うのかなァ。今日は俺も門田も思い知ったよ」(三迫会長)というほどの、一方的試合で幕を閉じた。王者が挑戦者を8度倒して、8回でKO。そして8度目の防衛に成功。日本のマスコミはセルバンテスの強さを大いに称えた。
この後セルバンテスは、エステバン・デ・へスス(プエルトリコ)、ヘクター・トムソン(豪)らの最上位ランカーを降し、安定感を見せる。しかし76年3月、サンファンのリングで17歳のウィルフレッド・ベニテス(プエルトリコ)に際どい判定を失い王座陥落。
だが、セルバンテスとのリターンマッチに応じないベニテスは戦わずして無冠に。翌年、決定戦で王座復帰を果たしたセルバンテスは6度の防衛重ねたが、80年8月、アローン・プライアー(米)に一方的に打ち込まれ王座を追われた。
門田選手はライト級での世界再挑戦を目指したが、再起戦で後の日本ライト級王者ビッグ山龍(野口)選手とダウン応酬の10回KO勝ちで再起したものの、昔の調子に戻ることは出来ず、76年11月、想い出のロサンゼルスでの試合を最後に引退。
「ホントは門田、世界チャンピオンよ!」(イトウ先生)
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