21日に後楽園ホールで予定されていた、OPBF・東洋太平洋Sミドル級タイトルマッチ12回戦。王者清田祐三(フラッシュ赤羽)vs挑戦者アーネル・ティナンパイ(比)の一戦は、試合前日の公式計量を前に中止が決定するという事態に陥った。
興行はセミファイナルだった、WBA世界フライ級8位村中 優 (F赤羽)vs阿知和賢(ワタナベ)戦がメインンに格上げされ開催。清田選手のタイトルマッチ以外に全42ラウンドの試合が用意されていたのは、不幸中の幸いとでも言うべきか・・・。
1968年(昭和43年)5月16日。後楽園ホール。東洋Jライト級(Sフェザー級)王者沼田義明(極東)選手は、1年7ヶ月ぶりとなる東洋タイトル防衛戦が用意された。これだけ時間が空いたのは、沼田選手がフラッシュ・エロルデ(比)から世界王座を獲得していたため。
沼田vsエロルデ戦。視聴率は48.5%。
小林 弘 (中村)選手に敗れ、世界王座の初防衛に失敗した沼田選手だったが、東洋王座は保持したままで王者として公認されていた。。
挑戦者は世界1位で、東洋2位という肩書きの 除 強一(韓国)。ところが当時、韓国陸軍伍長だった除は出国許可が間に合わず来日不能に。日本プロボクシング史上初めて、東洋タイトル戦が「挑戦者不在」で、ドタキャンという事態に陥った。
この試合は、TBS『チャンピオンスカウト』で放映が決まっており、主催の極東プロモーションは大慌て。しかし、時間がない。
急遽、セミの南守(田辺)VS鈴木 進 (池山)の、ノーランカー同士の8回戦をメインに格上げ。沼田選手は、日本ライト級1位辻本英守(大星)選手とエキシビションということで興行は強行。
だが、この日の興行は8回戦1組に、4回戦が5組のトータル28ラウンドと、エキシビションだけである。責任を感じた極東プロモーションは、”入場無料”として謝意を表した。
メインは張り切った南選手が2回KO勝利。試合は全国放映された上に、メインの勝者に用意されていたトロフィーや盾を一人占めで、人生最良の日となった。
清田選手の試合は、5月のF赤羽ジム主催興行にスライドされるようです。捲土重来。頑張ってほしいですね。
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