12日、新宿ワシントンホテルで、元 沖 ジム会長・宮下 政 氏の古希を祝うパーティーが、OB、関係者多数を集め盛大に開かれた。
TV番組ガチンコでも、会長とトレーナーとしてコンビを組んだ、沖ジム第1号選手、元WBA世界ミドル級王者竹原慎二氏と宮下会長。
「私は沖ジム第1号選手として、全日本新人王、日本、東洋・太平洋タイトル。そして世界チャンピオンにもなりましたが、後に続く者がおらんかったと言う事です!」('-^*)/
これには参加した元沖ジム選手たちは、思わず苦笑い。
「そうだよなァ、竹原は全部獲ったんだから、凄いよ!」
広島の”粗大ごみ”といわれた不良少年が、日本人初の世界ミドル級王者になったサクセス・ストーリーは皆様ご存知のとおりだが、宮下会長も竹原氏に劣らぬ”ヤンチャ”な青年だった。
「宮下君は高校生の頃から広島では大変”顔を”売っておりましたが、広島抗争では2度ほど死にそうな目にあいまして、それを私が助けて、このままじゃいかんからということで、東京へボクシングさせに行かせました」
広島の大先輩・山村若夫氏(立大→協栄・写真左)には、今でも頭があがらない宮下会長。
東京へ出て来たその日に、当時中目黒にあった金平ジムで宮下選手の味見(スパーリング)をしたのが、山神淳一トレーナー(現・協栄山神ジム会長)。
「あれは昭和37年だったかなァ。なかなかいい素質を持っているのが、わかりました。私も当時は若かったですから」(^_^;)
当時、山神トレーナーは、”鬼の山さん”として恐れられていた。(らしいです)(^^ゞ
「宮下がロサンゼルスでいい試合したから、また来てくれって話がありまして。だけど、その時彼はもう結婚してたんですね。だったら、奥さんと一緒に行ったらって話しもあったんですけど、結局、誰かもう一人一緒に行かせることになって、それじゃあ正三(西城)を行かせようかってことになったんです」
ロサンゼルス。メインストリートジム。
1967年。年も押し迫った頃、金平会長、宮下選手と一緒にロサンゼルスへ旅立った西城選手は、僅か9ヵ月後に世界チャンピオンの座を射止め”シンデレラボーイ”として日本へ凱旋帰国することになる。
「先輩(宮下氏)がいてこその俺」は、西城氏の口ぐせ。
その後も米国リングで戦ったロッキー・宮下選手は、その好戦的ボクシング・スタイルでロサンゼルス、ハワイの試合会場を満員にする人気を博した。
「宮下、面白い試合したからねェ。お客さん8千人入って、まだ2千人くらい中へ入れないのよ。サムさん(イチノセ氏)、だいぶ儲かったネ」(^-^)/
スタンレー・イトウ先生から宮下選手のお話はよく聞かされます。(^^ゞ
昭和40年初頭の選手紹介には、「強い男になろうと一念発起、念願どおりの素晴らしいKO率をあげ、現在は両親も応援。海老原先輩が目標」とある。
18勝(14KO)5敗。当時の日本人フェザー級選手としては、破格のKO率。大成への道が開けなかったのは、「ロードワークは、お互い早く走っちゃいかんという”暗黙”の紳士協定がありましたので」。f^_^;
「宮下先生は、俺が中学生で協栄ジムに入った時の最初の先生だから」と、常々「宮下先生」を立てるのは、協栄ジム・大竹マネジャー(下写真左)。
この日は開宴に先立ち、故・沖徳一オーナー(69歳で逝去)への感謝の気持ちを込め、参加者全員で黙祷を捧げた。
「宮下先生らしいよ。沖さんへの恩義は絶対に忘れないからね」
沖ジム選手のマッチメークも、「竹原のデビュー戦から俺がやってるから」という大竹マネジャーが忘れられないのは、ピューマ渡久地(ビクトリー→埼玉池田→十番TY→協栄)選手のラストファイトとなった一戦。
1年4ヶ月ぶりの試合とはいえ渡久地選手は、23勝(19KO)3敗の戦歴を持つ元日本王者。
「普通に考えたら、怖いよ。宮下先生は、それを受けてくれたんだよなァ」
そして試合は、6勝(1KO)5敗5分の鹿島基成選手が3回TKOで勝利(1999年10月)。勝者も敗者も、この一戦が最後のファイトとなっただけに思い入れがある。
「オッ、あれアイツなんだっけ、ほら、渡久地に勝ったの」
「あの時はよく受けてくれたなァ。その勇気が勝ちにつながったんだよ!」
渡久地戦は、忘れられない思い出となっているようです。
この日、写真撮影をしてくれたのは、ちょっとお腹が気になりだした('-^*)/元日本フェザー級ランカーの笛木 亮 氏(下写真左)。現在は石川県金沢市で、板前修行中。
右は中川太郎元選手。「協栄の毛呂さんと試合したんですよ」。今は、本物の”刑事”さんだそうです。ヤバイよ、茂呂君。(^_^;)
得意のノドを聞かせる宮下会長。
かつて海老原先輩が、「宮下も歌くらいボクシングが上手かったらなァ」とうなったほどの腕前です。ボクシングも十分上手かったですけど。(^-^)/
ご指名に預かり、私も一曲やらせて頂きました。(;^_^A
下は、”伝説のトレーナー”スタンレー・イトウ先生の本を執筆中のアイク田川氏とご一緒に。
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矢加部トレーナー、そして沖ジム最後の試合出場選手となった元ランカー田中光吉選手から、感謝の言葉と花束が贈られた。
「閉鎖が決まってから、会長と二人だけのジムでミットを持ってもらったことは一生忘れません」(田中選手)
多くの教え子達に囲まれた宮下会長。物凄くうれしそうでした。うらやましい限りです。
今なお渡嘉敷ジムで後進の指導に当たられる宮下先生の、今後の活躍にもご期待ください!。
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