日本プロボクシング史にさん然と輝く、世界タイトル13度連続防衛の記録を持つ、元WBA世界Lフライ級チャンピオン具志堅用高(協栄)選手。4年7ヶ月に及ぶチャンピオンロードは、「6ヶ月に一度の指名試合」という厳しいWBAルールにのっとり、指名挑戦者からも逃げなかった。
イラリオ・サパタ(パナマ)。この選手をすぐに思い浮かべられるボクシングファンは年季が入っていますね。(^-^)/
痩身のサウスポーは日本リングで、中島成雄(ヨネクラ)選手、友利 正 (三迫)選手の二人から、WBC世界Lフライ級王座を奪い去っていった。どちらの試合の判定も際どく、日本のボクシングファンは大いに憤ったものでした。
もしも、具志堅選手と対決していたならば?
具志堅選手のV11戦は、WBAが強行に指名したサパタとの指名試合。1979年12月5日、WBA指令を受けて立った協栄ジムは、サパタ側と契約をまとめ、1980年1月27日に大阪で具志堅vsサパタ戦を開催すると発表。
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しかし、サパタはWBA王座挑戦を回避。WBC1位にもランクされていたサパタは、1980年1月3日の開催が急遽決まった、WBC同級王者 金 性俊(韓国)と中島選手のタイトル戦勝者に、45日以内に挑戦する権利を得る。
WBCのお墨付きを得たサパタ陣営は、一転態度を変換。WBA本部パナマから強硬な後押しがあったことも忘れて、具志堅選手への挑戦を断ってきたのである。
1980年3月、蔵前国技館でファンの罵声を浴びながらWBC世界王者となったサパタ。再戦では心にくいほどの強さと上手さを発揮して中島選手を撃退。
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「具志堅にサパタをやっつけてほしい」
そんなファンの願望に応えるべく、協栄ジム・金平正紀会長は、具志堅選手とサパタのノンタイトル戦を計画。V13を達成したフローレス戦翌日に、パナマサイドにオファーを出していることを打ち明けている。
王座がかからないとはいえ試合は15回戦で、サパタのファイトマネーは10万ドル(約2千百万円)。これは、サパタが中南米でもらう世界戦報酬と比べても十分すぎる金額だ。
後はサパタ側からの返事を待つばかりであったが・・・。
フローレスに苦戦した具志堅選手。王座についてまだ日が浅いサパタ。このタイミングで戦っていたらどうなっていたでしょうねェ。(^O^)/
強い相手には燃える具志堅選手。変幻自在のリオスを攻略したように、憎きサパタを打ち破っていたのではと思わずにはいられない。
具志堅vsサパタ、ついに実現せず。これも運命ですね。
応援、深く感謝です!→Image may be NSFW.
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