「うちの選手サウスポーばっかり作ってたら、右がいなくなっちゃってスパー相手いないんだよ」(;^_^A
「具志堅さんやっつけようと思ってたから、サウスポーはよく研究したから教えるのも楽なんだよ」(^-^)/
と語るのは、元世界Lフライ級王者の渡嘉敷ジム・渡嘉敷勝男会長。映画監督一行を引き連れての協栄ジム出稽古。リングサイドに急遽座席が設けられ、スパーする選手たちも気合が入る。
「ガンガン行け!よし、勝負だ!」
気合満々の指示を飛ばす会長に、選手もつられるように奮戦。監督一行らは、協栄ジムの熱気ある空間に相当満足して帰られたようです。
「3人で飲もうや~」
「俺とお前、どっちが早かった?」
「16歳の秋には東京来てたからねェ。俺の方が先輩。トカちゃんが協栄に入ってきた時のことは良く覚えてるよ」('-^*)/
トカチャンとは同学年の誕生日1日違い。練習生当時から大竹門下生として、青春を共に遊んできた。いや、頑張ってきた。o(^-^)o
世界チャンピオンになった夜。
トカちゃんの右下は、やはり同学年の野木丈司(白井・具志堅ジムトレーナー)氏。
「大竹さんが中尾とやった時、野木ちゃんデビュー戦ですよ。最近、とみぃ がその時のパンフレット見つけ出して送ってくれましたよ」('-^*)/
シャイアン会長も出てます。(^O^)/
「いや~、あの時の大竹さんの試合もビックリでしたねェ」(^O^)/
「Sフェザーのランカーと、ウェルター級ランカーの試合なんか、今じゃ考えられないよねェ」(;^_^A
日本ウェルター級王者亀田昭雄(ミカド→協栄)選手に挑戦し、ノーカウントながら一度は片膝つけさせた強打の中尾和美(中日)選手は日本ウェルター級7位。大竹選手は日本Sフェザー級の7位にランクされていた。
「もう、一度はやられたと思っちゃいましたよ」('-^*)/
「お前ら、焼肉のことしか考えていなかったろう」(`ε´)
「確かに」(^_^;)
1980年6月19日。
第2ラウンド、中尾選手得意の左フックで「もう終わった」かと思うほどの強烈なダウン。しかし、立ち上がってからは接近戦回避のアウトボクシングを展開。そして迎えた第5ラウンド、右ストレート一発で中尾選手にテンカウントを聞かせ逆転のKO勝ち。
この後のメインカード、ミドル級ランカー同士のシーザー佐々木(国際)vs鈴木直人(角海老宝石)の一戦も、互いにダウンを奪い合い、その数9度という大熱戦。最後は佐々木選手が、6回逆転KOで勝利したが、「技術的なことを抜きにすれば、今年最高に”見て面白い”試合だった」。
激しい後楽園ホールでした。そしてこの夜、大竹選手の後援会長・田代忠義氏の計らいで焼肉を食べたことは間違いない。(^O^)/
「今度ハワイに行くときは誘ってくださいよ。一緒に行きましょうよ」
「トカちゃん、ホントにハワイ行けるのかよ~。やばいんじゃないの」(^∇^)
「あんまり行かないから、MIZUNOさんの家じゃあトカちゃん伝説になっちゃってるよ」('-^*)/
「レイさんのお墓参りも行かなくちゃ行けないし、絶対行きますよ!」
「あそこの墓地はでかいから、トカちゃんが探したら10年くらいかかっちゃうかもしれないからなァ」(^-^)/
「だけどレイさんとの出会いがあったから、ハワイの歴史が出来ましたからね」
大竹マネジャーとよく行っていた新宿西口のバーのカウンターのバーテンさんが、「ハワイへ行くならこの人をたずねたらいいですよ」といって教えてくれたのが、レイモンド・ヨシムラさんだった。
元世界フライ級王者ダド・マリノ選手と同じ墓地に眠るYOSHIMURAさん。大恩人です。若い時分から、本当にお世話になりました。
「よし、3人でお墓まいり行こう!」(^O^)/
それにしてもトカちゃんからは、想像もつかないような体験談ばかり出てくる。
ちょっとヤバすぎて書けないのが残念です。(;^_^A
実際に会って色々と聞いてみてください。
★協栄ジムOB会。9月30日(日) 新宿京王プラザホテル本館・44階『ハーモニー』
午後1時30分受付開始。2時~5時。会費1万1千円(千円は東日本大震災被災地への寄付金)
参加自由、出席希望の方は私までお知らせください。 → 【協栄ジム・OB会参加希望】
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