「キクチジムを起こして25年になります。だから会長との、お付き合いも25年です」という、とみぃ・は~んず さんから、「8月15日をもってキクチジムの閉鎖が決まりました」と聞かされていた。
不滅のボクシング漫画『明日のジョー』・丹下段平のモデルである菊地万蔵(田辺)氏は青森県の出身。昭和38年(1963年)8月19日、後の世界Sフェザー級王者小林 弘 (中村)選手を破って、日本フェザー級王者に輝いている。
菊地万蔵選手。
「”寂しい頑固者”という人もいますが、誰にも弱いところを見せず、最後まで自分のやり方を貫き通したのはある意味すごいと感じます。”職人肌”のボクシング人でした」
毎日同じ時間にジムに来て、自ら出席表(懐かしいですね)にハンコを押す。窓拭きも、床磨きも、毎日自分から率先して行った。ジムへの愛着は人一倍。
昭和33年(1958年)8月3日、笹崎ジム入門。後の師匠、元東洋フェザー級王者金子繁治氏と初めて会うのはその4日後。ハワイ遠征から帰ったばかりの金子選手は、菊地青年の憧れだった。
アマで社会人フェザー級王者のタイトルを獲得した菊地選手のプロ転向は田辺ジムから。引退した金子氏が同ジムのマネジャーに就任した為で、笹崎ジムから円満にトレードされたのは、昭和34年(1959年)暮れの事。
菊地vs小林。
昭和35年(1960年)プロデビュー。36年度のフェザー級全日本新人王獲得。そして38年、日本王座を獲得すると同時に、世界フェザー級10位にランク。小林戦は昭和38年度の年間最高試合を受賞し、菊地選手は敢闘賞に選出されている。
35勝(11KO)7敗1分の戦歴を残して引退した菊地氏は、田辺ジム・トレーナーに就任。その後、マネジャーとして実質的にジムを切り盛り。田辺ジム閉鎖に伴い独立した。
田辺ジム時代には数々のランカーを育成したが、その代表は元日本フライ級王者 牧 公一選手。ちなみに長谷川穂積(真正)選手の父・大二郎氏も菊地氏の下でプロキャリアを積んでいる。
「あれ(大二郎選手)はパンチがものすごく強かったから期待してたんだよ。だからデビュー前から牧(公一・日本フライ級王者)のキャンプに連れて行って、バンバン走らせたんだ」
1974年5月28日、”海老原2世”具志堅用高(協栄)選手のデビュー戦相手に選ばれた牧選手は、高校生3年生でプロデビューし、キャリア1年で4勝2敗という戦績。
具志堅vs牧。
高校王者は白星でプロデビューを飾るが、期待はずれの声が大きい。ハッキリしなかった結果を受けて、続くプロ第2戦目も牧選手は具志堅選手と戦う。今度は沖縄リングでの再戦であったが、またしても牧選手はしぶとく食い下がり、僅差の判定負け。
「今でも具志堅に負けたと思っていない」(牧選手)
具志堅選手との2連戦を含め3連敗となった牧選手だが、「欲がなかったけど、3連敗して新人王戦が始まり、やる気になった」。具志堅選手との連戦は、逆に大きな自信となったのだろう。
準決勝戦は引き分け。牧選手はかろうじて第31回東日本新人王決勝戦にクリンチ。対戦相手は大本命の将来のチャンピオン候補岡橋 勲 (SB川口)選手。17歳にして9勝(7KO)1敗という脅威の戦歴を誇る長身のスタイリスト・パンチャーである。
6勝5敗1分の牧選手は影が薄かった。試合は両選手フルラウンド戦い引き分け。新人王の肩書きは、1ラウンドの延長戦によって決められた。負けて当然といわれた男が勝者扱い。
前列一番左が牧選手。
「ただもううれしくて・・・、夢見たいです」。牧選手は控え室で感激に胸をつまらせた。
大きな勲章を手に入れた牧選手は、菊地氏とのコンビでランキングを上げていく。そして、1978年3月27日。日本フライ級王者加藤憲治(帝拳)選手へ挑戦のチャンスを掴み判定勝利。デビューから5年、15勝(3KO)8敗3分。雑草派の新チャンピオンが誕生した。
勝者コールを受ける新王者の後方で、菊地氏はヤレヤレといった表情。
「これからはああいう生き方の人は出てこないでしょうね。古い時代の最後の会長です」
「練習生を増やしたりするためのやり方や、経営的に工夫する余地もあったでしょうし、本人もわかっていたと思います。だけど絶対にそのために、生き方を変えない人ですから…」
8月、ジムのお疲れ様会が開催された。「遠方から駆けつけたOBなど30人以上が集まり、菊地会長を囲んで最後の晩餐しました」。
「超頑固でオレ絶対主義のじょっぱり気質の人ですが、やっぱり存在感は特別だったんですね。厳しい親父のように叱ってくれる存在って、大人になったらなかなかいませんが、会長はそんな人でした」
「富森、これお前にやるよ」
「会長が僕に愛用のミットをくれました」(>_<)
菊地会長と冨森氏。
ジム最後の日、「初めて獲ったツーショットです」(/_;)/~~
「これからは試合を見るよ」という菊地氏。
まだ71歳。第3のボクシング人生を切り開いてもらいたいと思います。
応援、深く感謝です!→ 【TOP】