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村田諒太・桜井孝雄 「金メダルの重みと世界王座」

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日本のマチュアボクシング史上、オリンピックで金メダルを獲得したのは、2012年ロンドン五輪ミドル級の村田諒太(帝拳)選手と、1964年東京五輪のバンタム級で金メダルを獲得した桜井孝雄(三迫)選手の二人のみ。1968年7月に世界王座に挑戦した桜井選手に次ぎ、金メダリストとして約半世紀ぶりに世界挑戦した村田選手陣営から、よもや桜井選手の三迫仁志会長と同じ言葉が発せられることになろうとは。

 

 

村田vsハッサン・ヌダム・ヌジカム(仏)戦の判定は、WBA会長が即座に謝罪。ジャッジ二人を処分し、再戦を指令する異常事態を招いた。試合直後は怒り心頭だった帝拳ジム・本田明彦会長も、次第に冷静さを取り戻すと、「村田が負けたんじゃない。帝拳の負けなんだ。村田には悪いことをした。こちらの責任」と選手をかばった。

 

 

1968年7月2日、日本武道館。ファイティング原田(笹崎)選手から大番狂わせの判定勝ちで世界バンタム級王座を奪取したライオネル・ローズ(豪)は、初防衛戦で3位桜井選手=22戦全勝(4KO)=の挑戦を受けた。

 

 

試合は第2ラウンド、桜井選手が放ったサウスポースタイルからの左ストレートでローズがダウン。「パンチを貰わなければ逃げ切れる」。抜群のテクニックを持つ桜井選手にしてみれば、そう難しいことではない。

 

 

この試合のオフィシャルは、主審ニッキー・ポップ(米・日本在住)、副審は遠山 甲 、羽後武夫の二人。未知の第11ラウンドを迎えた桜井陣営の三迫会長は、勝っている事を確信し、ローズをかわす作戦に出た。

 

劣勢を意識してか前に出る王者だが、クリーンヒットは乏しい。しかし、挑戦者の手数も極端に減った。最終ラウンド。必死の形相で追うロースに対し、桜井選手はフットワークを駆使し逃げ切りを図った。試合終了。

 

 

8千人の観衆が固唾を呑んでポイント集計を待つ。そして、ニッキー・ポップレフェリーは赤コーナーを指差し「勝者、ローズ!」。挑戦者陣営は、「なぜだ!」と驚きの表情。三迫会長は呆然とリングに立ち尽くした。スコアは、主審ポップ72-71、副審遠山72-70、副審羽後72-72の2-0。

 

 

三迫会長は、「桜井が負けたんじゃない。俺が負けたんだ」と愛弟子をかばった。

 

ローズが王座を奪取した試合では、原田選手の攻勢点よりも、ローズのアウトボクシングにポイントが流れた。試合後は「引き分けでも良かった」との声も多かった。そして桜井戦後、「僅差で桜井の勝ちでも良かったろう」の声もあったのは確かだ。

 

無念の敗戦を喫した桜井選手は、約10ヶ月後、再び世界挑戦の権利を掴むために米国遠征。イングルウッドのフォーラムで、当時無敗のKOパンチャー、ルーベン・オリバレス(メキシコ)からダウンを奪ったものの6回TKO負け。以後、東洋バンタム級王座を獲得するも、再び世界挑戦のリングに上がることなく、リングを去っていった。

 

 

「村田は作戦どおり、完璧な仕事をした。あんなに作戦を忠実に実行できる選手はいない」(本田会長)

 

村田選手と本田会長のコンビは、新しい歴史を作るために再び動き出すだろう。今度こそ、歴史的瞬間に立ち会いたいものである。

 

30日、22時~”村田諒太・緊急出演!” NHK総合・「クローズアップ現代+」

 

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