7日、協栄ジムを去ることになった萩原 篤 トレーナーの送別会が、新宿で一般会員の皆さんと選手OBが集まり開かれた。1999年に先代、金平正紀会長が亡くなられた後、大竹重幸元マネジャーの下、一緒に現場を務め、二代目桂一朗会長を盛り上げて来た仲間がまた一人去る。ベテラン会員さんたちも、驚きと寂しさを隠せない様子でしたが、明るく送る会が出来ました。
写真は萩原先生と教え子の元日本ウェルター級王者の加藤壮次郎(たけじろう・左)氏と、武田浩佑氏。「壮次郎、立派になったなァ。院長先生だもんなァ~。凄いよ!」。
先代会長の存命中からジムで練習をしていた加藤氏は、デビュー前にIBFで一度限りのカムバックを果たした”伝説のボクサー”・飯泉健二(草加有沢→フリー)氏とスパーリングの経験がある。
「昔、強かったんだけど、ちょっとやって見る壮次郎」と声をかけると、冒険心旺盛な加藤選手は、「やってみたいですねェ~」とやや尊大なる答え。しかし経験後は、「あんなにパンチ強い人とは、あれからやった事ありませんよ」と語っていくことになる。
加藤選手が頂点を極めるきっかけとなったのが、3連敗、2年間勝利なしで迎えたチャールズ・ベラミー(八王子中屋)選手との一戦。大竹氏は、壮次郎がビビらなければの条件付きでチャンス有とみて、このカードを受けた。
無敗のベラミー選手に対し、後がない壮次郎選手は、「萩原先生の為に勝ちます」との言葉通りの先手の攻めで見事な判定勝ち。この試合から7連勝(1分含む)で、沼田康司(トクホン真闘)選手との王座決定戦を制し、第48代日本ウェルター級王者となった。
思えば、3連敗目を喫した加藤選手は、その夜偶然会った秋葉原駅のホームで、残念会の残りのつくね串をくわえながら、「自分に失望しました」と、すっかり意気消沈していた。だがこれは、チャンピオンロードの一つの過程に過ぎなかった。
「お前、あそこからよく這い上がったよ!」
「先生方のおかげです」
そんな加藤氏は、現在、茨城県牛久市でロッキー接骨院を開業。院長先生として活躍中だが、今後はボクシングジム経営にも関心があるという。今後が楽しみです。
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