最近のこと。再就職を余儀なくされた元協栄ジム・練習生が、某不動産会社の面接に挑んだ。
「履歴書に”肉の万世”でアルバイトしてた事書いたら、面接官に突っ込まれちゃって」(;^_^A
「大竹さんて、知ってますか?」
「エッ、大竹さんですか!。・・・・、し、知ってますけど。ボクシングの協栄ジムのマネジャーやられていた方ですね」(;^_^A
「よく知ってますねェ。ボクシング、やたことあるんですか?」
「アッ、プロにはなっていないんですけど、しばらく協栄ジムに通っていて、大竹先生に教えてもらっていました」(;^_^A
「そうなんだァ!」(^-^)/
面接はボクシングの話題で大盛り上がりとなり、「採用してもらうことになりました」。
家業の都合でプロ選手になることは断念した彼だが、「肉の万世」でアルバイトしながら協栄ジムに通うという、渡嘉敷勝男選手、喜友名朝博選手らに続く、伝統のエリートコース(^-^)/を歩んでいた真面目な練習生だった。
「面接官の方は、丸尾 忠 さんという名前でした」
「お~、丸尾君だったのか」(^-^)/
丸尾 忠 (左)。元日本Sフライ級チャンピオン。デビューから7連続KOを記録し、全日本新人王
も獲得したハードパンチャーで、大いに将来を嘱望された丸尾選手は、ロサンゼルス修行にも送り出された。
「ハワイキャンプで公園横切ったのは、アイツだけだよ。小さい子供に混じって、低空飛行してるんだから笑っちゃうよ!」(大竹氏)
日本王座は2度獲得。キャリア後半は日本王座を賭けて、当時のトップ選手と切磋琢磨を演じた。中でも名古屋初の世界王者となる畑中清詞(松田)選手に胸を貸した試合は、畑中選手の出世試合となった。
「そうだよ、キーちゃん(畑中会長)にチャンス上げたんだよなァ」(^-^)/(大竹氏)
86年7月の初戦は畑中選手が僅差の判定勝ち。この勝利でランキングを上げた畑中選手は、翌年のチャンピオンカーニバル出場の権利を掴む。そして、王座に返り咲いていた丸尾選手は、王座を賭けて「東海のカマチョ」と再戦。
しかし、成長著しい畑中選手の前に3回KO負け。王座を失うと共に、潔く現役生活から引退。しかし、節目での大竹氏との連絡は欠かさず、師弟関係は今も続いている。
「丸尾君によろしく頼むよう言っておくよ」(^-^)/