プロ6戦目で世界タイトル挑戦が決まっている井上尚弥(大橋)選手の実弟で、日本ミニマム級6位にランクされる拓真(大橋)選手が、4月6日、東京・大田区総合体育館で、WBA世界Lフライ級4位ファーラン・サックリン・ジュニア(タイ)とプロ2戦目で対戦。
これに勝つと、世界最速タイ記録となる3戦目での世界王座奪取の可能性が見えてくる。
3月1日、五輪2連覇、アマ時代の戦績396勝1敗を誇るワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)が、プロ2戦目でWBO世界フェザー級王者オルランド・サリド(メキシコ)に挑んだが、結果はオーバーウェイトのサリドに判定負けで、世界王座最速到達記録達成はならなかったばかり。
古くは、メルボリン五輪ヘビー級で金メダルを獲得した、ピート・ラデマッハー(米)が、1957年8月、プロデビュー戦で世界ヘビー級王者フロイド・パターソン(米)のタイトルに挑戦するも、6回KO負けという記録が残る。
世界最速王者の記録を持つのはタイのセンサク・ムアンスリン。ムエタイの無敵王者はデビュー戦で、世界ライト級2位ルディ・バロ(比)を57秒で粉砕し、世界をアッと言わせる。
バロは日本で門田新一(山迫)選手に2KO負けを喫するなど、負けが多い選手だったが、33戦無敗のジミー・ヒアー(米)を破り、実力で世界入りしていた。とはいえ、狙い目である。
センサクのデビュー戦相手にバロを選んだのは、アジアに幅をきかせていたマッチメイカー、ロッペ・サリエル(比)氏。まんまと大魚を釣り上げたセンサクだが、すぐに世界挑戦というわけには行かない。
負けたバロは5位に残ったが、センサクはノーランクのままだった。
2戦目の相手に抜擢されたのは、世界Sライト級2位ライオン古山(笹崎)選手。ペリコ・フェルナンデス(スペイン)とのWBC世界同級王座決定戦(74年9月・ローマ)では、際どい判定負け。惜しくも世界のベルトを逃していた。
強打とタフネスを併せ持つ古山選手は、パナマでアントニオ・セルバンテス(コロンビア)と戦うなど海外経験も豊富。敵地でのハンデも当然知っているが、「もし敗れても、センサクが世界王者になったら初防衛戦で挑戦を受ける」(サリエル氏)という裏約束もあり、笹崎会長はタイ遠征を承諾。
もちろんプロ2戦目の相手に負ける気などはサラサラない。試合は互角の展開で7回まで進んだが、ここで古山選手はロープ際で”手が出なくなる”、悪い癖が出てしまう。すると、すかさず試合はストップされ、センサクの手があがる。
ダウンしたわけでも、効いたわけでもない。6回までジャッジ2者の採点はイーブン。ただ唖然とするばかりの古山陣営。
2戦連続で世界2位を破ったセンサクは、WBC6位にランクされた。そして1975年7月、地元でフェルナンデスを8回KOに破り、世界王座最速到達記録を樹立。この記録は今も破られていない。
王者となったセンサクは、約束通り古山選手の挑戦を受けるために来日。文句なしの判定で古山選手を返り討ちにしている。次の防衛戦で、ゴング後の反則パンチでミゲル・ベラスケス(スペイン)をKO。反則負けとなるも、再戦ではハッキリと倒してみせた。
世界王者となっても、ムエタイ・ラジャダムナン系ウェルター級2位にランキングされていたセンサクは、TBSが放映していた『キックボクシング』の400回記念放送の目玉として、キックの東洋ウェルター級王者富山勝治(目黒)選手とのキック対決が計画されたりした。
これは、さすがに国際式のほうがギャラが高く、キックのリングに上がる事は無かったが、もし、実現していたら、日本ボクシング界の歴史も変わったものなっていたかもしれませんね。
3戦目の世界最速記録。運、実力、そしてタイミング。すべてが揃って初めて叶うこと。井上選手のチャレンジが、楽しみです。
応援、深く感謝です!→