9月11日(水)、大阪・ボディメーカーコロシアム(大阪府立体育館)で開催されるWBAダブルタイトルマッチの公式計量は、出場4選手がそろってパス。WBA世界Lフライ級正規王者井岡一翔(井岡)選手は、リミットいっぱいの48.9キロ。挑戦者・同級5位クワンタイ・シスモーゼン(タイ)は48.8キロ。
WBA世界ミニマム級正規王者宮崎 亮 (井岡ジム)選手と、挑戦者で同級暫定王者のヘスス・シルベストレ(メキシコ)は、ともにリミットいっぱいの47.6キロ。いよいよ明日のゴングを迎えるだけとなった。
井岡選手は、「チャンスがあればKOを狙っていく、明日は最高の試合をお見せしたい」と王者らしいコメント。王座統一戦となるミニマム級の両選手は互いにプライドをぶつけ合い、リング上でどちらが本物のチャンピオンかハッキリさせてやると火花を散らした。
さて、大阪の地で初めて世界タイトルマッチが行なわれたのは、1959年11月5日の世界フライ級王者パスカル・ペレス(亜)vs同級1位矢尾板貞雄(中村)の試合が最初。これは日本で行なわれた9回目の世界タイトル戦。
白井義男(カーン)選手から王座を奪っていった憎っくきペレスをノンタイトル戦で破り、無敗の王者に初めて土をつけた矢尾板選手の王座奪取が大いに期待され、日本人2人目の世界王者誕生をこの目で見ようと、大阪扇町プールに集まった観衆は2万2千人。
3回にダウンを奪う好スタートを切った挑戦者だったが、ボディに的を絞ったペレスが次第にペースを掌握。日本期待の矢尾板選手は、13回55秒ついにキャンバスへ沈んだ。TV視聴率は脅威の92.3%。
次に大阪で世界戦が行なわれたのは10年後の1969年9月9日。地元期待の 南 久雄(中外)選手がWBA世界Sウェルター級王者フレディ・リトル(米)に挑戦。しかし、本職は「学校の先生だ」というリトルは強く、世界3位は第2ラウンド、王者の右一発であっけなくテンカウントを聞いた。大阪府立体育館の観衆は5500人。
このひと月後の10月19日には、WBA世界フライ級王者海老原博幸(協栄)選手が、5年ぶりに返り咲いた王座の初防衛戦を行なっている。プロモーターは、大阪帝拳ジムの故・吉井 清 会長。同級1位バーナベ・ビラカンポ(比)を迎えてのタイトルマッチは、大変な人気を呼び、RS席1万円から売り切れとなり、大阪府立体育館は7千人の観衆で埋まった。
海老原選手のファイトマネーは7万ドル(当時のレートで2520万円)。挑戦者は1万ドル(360万円)となっている。
もちろんTV中継はあるのだが、その中継料は貨幣価値の違いから、現代のそれとは比べるすべもなかろう。それでもこれだけのファイトマネーが支払われていた時代は、素直に凄いことだと思います。
戦前有利が伝えられていた海老原選手だが、公開スパーで痛めた左ひじの負傷がひどく、試合は右手一本だけで戦うハメとなった。打たれ続ける中でのインターバル。「絶対にタオルだけは投げないで!」と言い続けたチャンピオンは15回を戦い抜き、堂々と王座を譲り渡した。
「俺、KO負けだけはしたくないから」
海老原選手は68戦のキャリア中、ただの一度もKO負けはない。敗れはしたが、今でもこのファイトの記憶がよみがえってくるオールドファンは多いのでは。
明日の大阪にも熱い戦いを期待したいと思います。
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