昨夜、思いもかけぬ方から電話を頂いた。その人は、元日本ライト級1位谷津弘之(帝拳)氏。1978年10月26日、後楽園ホール。互いにデビュー戦同士で私は谷津選手と戦った。
「いや~、久しぶりです。お話しするの初めてですよねェ」(^-^)/
谷津選手とは、試合後のシャワー室でほんの少し言葉を交わして以来、33年ぶりの会話ということになる。
「今年、帝拳さんに選手連れてスパーに行った時、長野マネジャーに、谷津さんとデビュー戦やったんですよ。って話したら、アッ、そうって大変うれしそうな顔でしたよ」(^O^)/
『まだ中学生のときから、プロの、それも10回戦の選手をスパーリングで翻弄し、倒してしまうほどの、「天才」と呼ばれたボクサーだった。ー 田中誠一 拳雄たちの戦場より抜粋 ー』
『あの子が16歳にならぬ頃このジムに現れたように、あの子が素晴らしい足腰と、スピードの持ち主であったように、いま私の前に「もうひとりのあの子」が姿を現したのだ。素質もあの子に劣ることはない。この子がいつか帝拳にもう一度春を呼び戻してくれるかもしれない。その日まで、わたしはこのジムを守っていかなければならない義務がある。- 沢木耕太郎 ジムより抜粋 ー』
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中学生の時から天才といわれた谷津選手は、長野マネジャーにとっても特別な思いをかける存在となっていた。
しかし、ネットもない時代。そんな情報は一切知るよしもない。なんとも不運な私。(><;)
「こんな話しが出来るなんてうれしいです」
全くの偶然だが、このブログを通じて知り合った、とみぃ・は~んず さんは、「谷津さんの励ましの電話と手紙のお陰で頑張れたんです」と公言する間柄。人生色々である。
とみぃさんの手から、ミニグローブ・キーホルダー
が谷津氏に手渡された。
「家の一番上の娘は24になるんですよ」
「家は23です。下に男ばかり4人続きます」
「じゃあ、みんなボクサーですね」
「いや、根性なしでダメですよ」
互いに年を取り、示し合わせたように同じ頭になってしまいましたが、気持ちだけはまだ若い。(^_^;)
「もうずっと、後楽園ホールには行ってないんですよ」
「そうですかァ。私なんか、未だにはまりまくりですよ」(^_^;)
「今度、お会いしてゆっくり話しましょう」('-^*)/
とみぃさんからは、「”4半世紀ぶりの奇跡”ですね」とメールを頂いた。谷津氏も、様々なことが頭を駆け巡って感激の態だったという。
いや、うれしかったです!
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