WBA恒例の”KOドラッグ”興行。 WBA史上最悪のSフライ級暫定戦ソリスvsアコスタ の行われたベネズエラ・マラカイ(日本時間4月29日)の試合会場に、ドン・キングは来たが、なぜだかWBAメンドサJr副会長は姿を現さなかった。
なんでだろ~ Σ(~∀~||;)
さて、試合会場には来日経験のある関係者の姿も。
下写真向かって右は、畑山vs坂本戦等のジャッジで来日経験のあるへスス・コバ氏。そして、左の人物がすぐにわかった人は、かなり年季が入っているボクシング・ファン。自慢していいかと思います。
地元マラカイ出身のリゴベルト・マルカーノ(ベネズエラ)氏。
具志堅用高(協栄)選手の指名挑戦者として、2度に渡り激戦を繰り広げたマルカーノ氏の名を記憶しておられるファンは、多いことかと思います。
ボクシングを始めたきっかけは、1966年8月7日メキシコで行われた世界フェザー級タイトルマッチ。王者ビセンテ・サルディバル(メキシコ)vs同級1位 関 光徳(新和)戦に感動して。
30勝(24KO)1反則負けという無敵の王者サルディバルに挑む関選手は、圧倒的不利の予想。しかし、試合は両選手ダウンを奪い合う大激戦。王者がきわどい判定で勝利したが、関選手の頑張りは5万人の大観衆の魂を揺さぶった。
今も語られる名勝負である。
サルディバルvs関Ⅰ。
マルカーノ氏は、ベネズエラの新聞が伝えた「サルディバルvs関」戦の新聞記事の切り抜きを大切そうに持って来日。憧れのファイター関氏に会うことが出来、大変感動したというスポーツマン。
2度目の挑戦は、「勝負を賭けて来たのがわかった」具志堅選手の目いっぱいの迎撃で、好ファイトになりました。
最後は壮烈なKO負けでしたが、あれだけ打たれても前に出続けた執念は、ちょっと外人選手には見られないものだと感じたものです。
1979年1月7日川崎市体育館。
凄い試合でした。
挑んだチャンピオンが具志堅選手でなければ、マルカーノ氏も世界のベルトを手にしていたかもしれません。
目の前で行われた”暫定”世界タイトルマッチ。
どう、思ってるんでしょうかねェ。思いは万国共通であると思いますが。
山田さんに聞いてもらうべきでした。失敗!(ノ_-。)
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