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ガッツ石松 ”代打逆転満塁本塁打" vs門田新一 「運命!」

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1971年度年間表彰。MVPは世界フライ級王者大場政夫(帝拳)選手。世界Sウェルター級王座を奪取した輪島功一(三迫)選手は殊勲賞を受賞。そしてこの年、年間2度の王座防衛に成功していた世界フェザー級王者柴田国明(ヨネクラ)選手を押しのけて、技能、KO、二つのタイトルを獲得したのは、東洋ライト級王者門田新一(三迫)選手。


6連続KOを続ける門田選手(写真中央)は、1972年度の「ボクシング界を背負う男」として大きく期待されていた。

22歳のヤング王者の目標は、世界ライト級王座奪取。三迫会長は、71年10月の輪島選手のカルメロ・ボッシ(伊)挑戦を決めるために欧州に赴いた際、英国まで足を伸ばし、世界同級王者ケン・ブキャナン(英)陣営と接触。日本開催で対戦の同意を取り付けていた。

71年11月、後の世界2位ルディ・バロ(比)を軽く3回KOに降していた門田選手には、世界王座挑戦の前哨戦として、72年1月16日、東洋王座4度目の防衛戦がセットされた。挑戦者は東洋5位サナンパ・パヤクソポン(タイ)。

三迫会長は、これに勝てば4月、東京でブキャナンの王座へ門田選手を挑戦させる手はずを整えた。「門田はきっとやってくれる。俺は絶対にそう信じているよ!」。


タイ人相手の前哨戦は、当然ながら「門田の楽勝」と見られていた。しかし、年が空けサナンパは来日不能に。あわてた三迫会長が白羽の矢を立てたのが、スパーリング・パートナーとして呼んでいたガッツ石松(ヨネクラ)選手。

かくして試合6日前、「正月は田舎で散々遊んできた」、石松選手の代打挑戦が決まった。

71年8月、二人はノンタイトル戦でグローブを交え、石松選手は善戦したものの、暑さに参って8回ストップ負けを喫している。世界前哨戦は、ますます門田選手に有利になったと世間は見て取った。

「今度がノンタイトルなら受けていなかったです。東洋タイトルがかかっていてチャンスだし、それに、負けてもともとですからね」

いかにも石松選手らしい鷹揚さで試合を引き受けた。スパーリングは、「かえって疲れるから」とやらずに、試合まで6.5キロの減量のみに専念。無事、計量をパスした代打挑戦者は、後楽園ホールのリングに上がった。両選手は、5ヶ月ぶりの再戦となる。

「倒されなきゃいいけど」


ヨネクラジムの同僚、東海林博選手が心配する中、ラウンドが過ぎて行く。世界を意識して固くなったか、門田選手の調子はいまひとつ上がらない。逆に「負けてもともと」の石松選手は、「リングに上がったら、不思議に張り切っちゃった」と、終盤心配されたスタミナも落ちない。

最終ラウンド終了ゴングがなると、観客席からは大きなどよめきがあがった。

「まさか、あの門田が負けるとは・・・」

「やってみないと、わからないもんだねェ」

門田選手との初戦でKO負けの石松選手は、ひと月前の韓国遠征でも星を落とし2連敗中だった。


「こんなはずじゃなかった」

敗れた門田選手と三迫会長は、ガックリとうなだれた。

石松選手は、米倉会長と抱き合って男泣き。

「これからは東洋をどんどん防衛して、金を稼がなきゃ」


門田選手の4月ブキャナン挑戦はなくなった。しかし、三迫会長は、「6月にでもやれないことはない」と強気。だが、今とは違い、負けて簡単に世界挑戦できる時代ではない。とりあえず、3月9日、石松選手との3度目の対戦が決まったが、結局これは流れた。

その後、両選手の運命は微妙に分かれて行くことに・・・。  = 続  く =

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