2月1日発売、『ハワイからの使者 スタンレー・イトウ』(アイク田川著・文芸者)の中に、元東洋ライト級王者門田新一(三迫)氏が、ハワイ遠征当時の思い出を綴られているページがある。「WBA世界ライト級王者ロベルト・デュランとやらないか?」。
1973年。初めてハワイへやって来た門田選手が、ホノルルのリングで3勝(2KO)目をあげた直後の6月25日、ジムでサム・イチノセプロモーターからデュランとの対戦話を持ちかけられた。試合はノンタイトル戦だが、ホノルルで開催されるという。
「とうとう来たか!」
イチノセ氏はダド・マリノ(米)を世界フライ級王者に育て上げ、その挑戦者として白井義男(カーン)選手を選び、日本初の世界タイトルマッチ開催に尽力して以降、日本の世界戦ビジネスには欠かせない強い影響力を持っていた。スタンレー・イトウ先生のボスである。
しかし、デュランとの試合は実現しない。パナマでデュランの持つ王座に挑戦することになったのは、因縁のライバル、ガッツ石松(ヨネクラ)選手。
門田選手の長い海外遠征への出発点を作ったのが、石松選手との東洋タイトル戦だった。WBA王者ケン・ブキャナン(英)への挑戦が内定とも言われていた72年1月、門田選手は5ヶ月前に8回KO勝ちしている石松選手の挑戦を受けた。
石松選手は急なピンチヒッター。しかも、1ヶ月前に韓国遠征で負けたばかりである。6連続KO勝利を続けていた東洋王者には、油断があったのだろう。すっかり調子が出ないうちに、あれよあれよとラウンドが経過し、わけのわからないままに判定を失ってしまった。
「世界の切符を掴むまで日本へは帰らない」
7月31日、ハワイで前WBC王者チャンゴ・カルモナ(メキシコ)と対戦した門田選手は7回KOで勝利。実力で世界ランクに返り咲いた。
そんな時、日本から電話が入った。「門田、直ぐに日本へ帰れ」と。「門田、日本へ帰ったら、あなた世界出来ないよ」。(ハワイからの使者 スタンレー・イトウより)
1973年11月、ハワイ・ホノルル。WBC世界ライト級タイトルマッチ。王者ロドルフォ・ゴンサレス(メキシコ)vs挑戦者門田新一(三迫)の一戦は、幻に終わる。「あ~、やりたかったな」(門田氏)
「門田、ホントは世界チャンピオンよ!」(イトウ先生)
門田、石松両選手の世界タイトル挑戦権争奪戦は、まだまだ続く。 = 続 く =(^_-)☆
応援、深く感謝です!→